「なんだなんだ、ぼーっとして。今日の探索、もう疲れた？」
黒髪の若者が床に不貞寝する俺を覗き込んで笑っている。
「当然だろ。もう……あれ、何日目だ？」
「あ〜…忘れた」
この空間に来てから途方もない時間が経とうとしていた。
何日目かもどうでも良くなる程度には。
…どうしてんな事に。
いや、もうその問いも飽きたわ。
「ここ、どんだけ広いんだよ」
「さあ？俺もこんなに広い施設は初めてだからさぁ。でも、ここまで来たんだし後もう少しで出口見つかるんじゃないか？」
この男は本当に呑気だ。羨ましいぜ。
最初の白い部屋から始まったこの施設は1つの課題をクリアする毎に内部が開放されていき、途方もない時間が経った今では最初の部屋の数十倍もの広さとなっていた。
出される課題は色々。
ただの謎解きの場合もあればよく分からない化物が襲いかかってくる時もあった。その度に何とかしてきたが…。
また、不思議とこの空間では腹は空かない。睡眠も…多分必要ない。気分転換に寝る事はあるが。
最初は21人居たんだった。
ひ弱そうな会社員の男だとか、水商売してそうな女だとか…。
しかし今や残り3人。
2人くらい初日に、軽率に行動してあっさりデストラップで死んだ。他の奴らも途中の化け物に殺されたり、発狂して自殺したりしてな。
発狂したいのはこっちの方だわ。
こんな状況下だが、いやこんな状況下だからか。愛人を作った時期があった。その女も、疑心暗鬼になって周りに襲いかかって来た男から俺を庇って死んだ。まあ、最初からこういう時の為に愛人を作ったんだが。
そんなわけで、今は俺様とこの長い黒髪の男、それから眼鏡のリーマンの3人だけなのである。
「はァ…お天道様が恋しいなぁ」
このクソみたいな空間に男3人。
思わず情けない声が出てしまうのも仕方ないだろう。
「太陽恋しい？」
「そりゃな。まァ生まれ育った場所は地下だったから太陽なんざ大人になるまで馴染みはなかったが」
「へぇ」
「1回地上に出てソイツを知ってからは癖になっちまってね。お陰で日光浴好きのオッサンになっちまった」
「ああ、だから肌黒いのか」
「いやそれは元からだ。つかお前も大して変わらんだろ」
このどうでもいい会話でさえ正気度回復になりそうな程度には疲弊している。
今が朝か夜かも分からないが、さっきまで長いこと魔導書を読んでいたから頭が痛い。眼精疲労で目も開けたくないので床に伏したまま耳を澄ます。この空間に来てから大分研ぎ澄まされた自分の耳には特に何も聞こえて来ない。無音だ。
…無音？
まるで3人から2人になったかのように俺とこいつ以外の気配が感じられない。
眼鏡のリーマンは別の部屋を探索しているが、存在を感じ取れないほど遠くには居ないはずだ。
…嫌な予感がする。
「……」
「……」
目の前の男も同じ事に気付いたのか、互いに意味深な目配せをして嫌な空気が流れる。
重い身体を嫌々起こし、俺達はリーマンの方へ向かう事にした。
ああ、やっぱり。
そこにあったのは皮だ。
べろんべろんに剥げた人間の皮。
あと、多分リーマンだったんだろう真っ赤な肉の塊だ。
コイツは一体何のデストラップにかかったんだ？
ここまで来ると笑いが出そうだ。
もう無理だ。やってられるか。
俺だって発狂死するわこんなん。
言葉になっていない叫び声を上げながら廊下を走った。
デストラップがあるかもと思って探索を後回しにしていた長い長い廊下だ。
そんなもの知るか！ここから出るんだ！
走って走ってたどり着いた廊下の先は大きな扉の前だ。
今までこの施設では見た事がない造りの扉。
気の狂い掛けた今の状態でも分かる。
此処に入ったら死ぬ。
これはまさに…。
「ラスボスの扉みたいだ」
扉の前で躊躇う俺の横に、いつの間に追い付いていたのか黒髪の男がいた。
どこか楽しそうに見えるその男が急に不気味に見えた。
「どうする？義景は入る？」
「入…ったら」
「義景は死ぬ」
「お前は」
「どうかな」
何なんだ。こいつは何を知っている？こいつはこの施設側なのか？もしかしてもうこの施設に俺達側の人間は居ないのか？
「開けるよ」
混乱する俺を尻目に男は容赦なく扉を開けた。
「…いらっしゃい」
そこに居たのは椅子に腰掛ける長い白髪の男と3人のスーツの男、あとは全体的に白い…女？男か？
「お邪魔しまーす」
「……」
気の抜けた声が部屋に響く。それに対して白髪の男は怪訝そうな顔をする。スーツの男達も、白い奴も、同様に緊張した面持ちだ。双方仲間という訳では無い、のか？
「義景、どう？」
「すまん、なにも分からない」
「それが正しい」
その言葉でホッとした。この状況がよく分かってないのは俺だけなのかと思った。
いや、やっぱり俺だけじゃね？
「ただ一つ教えとこう。此処に人間は義景だけだ。残念ながら」
「そうか…」
もうここまで来ると驚きも無い。元々おかしいと思ってたんだ。こいつが居ると突然冷静になれたり、よく分からない文字が急に読めたり。違和感に気付かないふりをしてたんだ。
「義景、廊下の反対側まで走るんだ」
小声でそう促される。
「逆方向に門がある。そこから出れる」
出れる？ここから？
「義景はまた太陽の下に行きたいんだろう？なら、神様としてその信仰に応えない訳にもいかん」
風が吹いた。風なんて吹くはずも無い施設の中で、風は砂を巻き上げてどんどん強くなる。
「義景に太陽の加護があらんことを」
ギラギラとした修羅のような双眸が早く行けと言わんばかりに笑う。
俺は走り出した。
足元から生えるエメラルドの棘に目もくれず。
後ろを振り返らずに全力で逃げる。
背後から轟音が響く。施設が崩れる。
何も見えない廊下の反対側へ。
そこが壁であろうと床が抜けていようともう飛び込むしかない。
一層強い地響きと共に、俺はその暗闇へと飛び込んでいく。
浮遊感、何も見えない。
そこで意識が飛んだ。
……
…
目を覚ますとそこは…路地裏？
ゴミ袋と一緒に寝ていたのか、酷い臭いで意識が急に覚醒してくる。
上を見る。朝、だろうか。
「……っふ」
気が付けば大声で笑っていた。それに気付いた通行人が怪訝そうな目で俺を酔っ払い扱いしている。
今が何年何日で此処が何処なのか、こちらでも調べる事は山のようにありそうだ。
それでも今は笑いが止まらない。
神は本当に居た。
思わず宗教に傾倒しちまいそうだ！
感謝するぜ、神様！！！！
『仮想ヘルモポリス・マグナでの神話的事象』
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